【インタビュー】仮屋崎郁子さん前編・優等生からプロのちんどん屋に

昭和30年より富山市で毎年開催されている全日本チンドン・コンクール。

ここで最も多く優勝を飾ってきたのは、大阪市を拠点とする林幸治郎氏です。

その林氏率いるちんどん通信社には、実に魅力的で個性あふれる実力派のメンバーが揃っています。

その中でも特別な存在感を発揮されているのが、プロ17年目となる仮屋崎郁子さん(どう特別なのかは前記事をご覧ください)。

もし「ちんどん屋」という存在にいまだに偏見を持たれている方がご覧になったら、きっとイメージの違いに驚かれることでしょう。

 

 

さっそく仮屋崎郁子さんのインタビューをお届けしたいと思いますが、その前に簡単なプロフィールをご紹介します。

仮屋崎郁子(かりやさきいくこ)

熊本県出身。
神戸大学農学部中退。

大学一年時に阪神・淡路大震災を経験。
ボランティア団体「神戸大学学生震災救援隊」に参加。

ちんどんサークル「神大モダン・ドンチキ」立ち上げメンバーとして活動。
2002年よりちんどん通信社に所属、プロとして活躍。

 

このプロフィールを基に、まずは仮屋崎さんがプロのちんどん屋になるまでの歩みと、その背景から伺ってまいります。

 

ちんどん屋になるまで

阪神大震災とボランティア活動

―仮屋崎さんは神戸大学のちんどんサークルご出身です。どのような経緯で参加されたのでしょうか?

私が一年生の時、阪神・淡路大震災が起きました。私は大学生協に勤める夜間大学生の先輩を頼って、大学食堂に3日間避難しました。その先輩の判断で、震災当日の夜から次の日の朝にかけて、食堂にあったお米を炊いておにぎりを作ったりして、炊き出しに近いことをやりました。それがちんどんサークルを作るきっかけになった、震災救援ボランティア団体の発足につながっています。

食料も生活もどうなるか分からない状況の中、「帰省できる実家がある学生は帰った方がいい」と言われ、4日目に私は熊本に帰りました。実家では試験の代わりのレポートをやったりしていましたが、神戸が気になって、早く戻りたくてしようがなかったです。

神戸に戻ったら先輩たちが「神戸大学学生震災救援隊」を作っていて、私も加わりました。
その活動の一環で復興イベントをすることになった時、宣伝のためにちんどん屋をやろうという話になり、「楽器できるよね」と言われてフルートを持って参加しました。
実はちんどん屋については何も知らない状態だったのですが、街回り中にたくさん声を掛けていただいたのが新鮮でした。道でお話した方が実際にイベントに足を運んでくれたりして、嬉しかったです。

―ちんどんサークルを作ること自体が目的だったわけではないのですね。

はい。自然発生的にちんどん活動をするようになり、2000年に「神大モダン・ドンチキ」を立ち上げました。ちんどん通信社の同僚・内野も同じサークルの出身です。

 

技術とセンスの背景

 

―仮屋崎さんはアコーディオンを弾かれることが多いですが、笛やちんどん太鼓も演奏されますし、歌もとてもお上手です。幼少の頃から音楽に親しまれてきたのでしょうか?

幼稚園から高校2年生までピアノを習っていました。覚えていないのですが、自分から「やりたい」と言ったらしいです。小学校では合唱クラブ、中学・高校では吹奏楽部でフルートやピッコロを吹いていました。

―音楽一家で育った、という雰囲気がおありです。

母は趣味で合唱をやっていますし父も音楽は好きですが、英才教育を受けたわけではありません。

 

―どんな子どもでしたか?

真面目でしたね。理解するのが好きなので、勉強もちゃんとしていました。分からないのを放っておくというのができない性分です。学級委員とか部活の部長をやらされるタイプでした。

―知性や品性など、優等生の面影は今も仮屋崎さんの魅力になっていると思います。当時の将来の夢や就きたい職業は何でしたか?

子どもの頃は、はっきりとした夢はなかった気がします。音楽と植物と本が好きだったので、そういうものに関係のあることがいいなあと漠然と思っていましたが、ピアニストや演奏家はほんの一握りの人しかなれないしなあ…と。
今なら音楽の仕事にもいろいろあると分かるのですが、その頃は調べることもせずじまいで、父が理系なのも影響して、「理系の方が選択肢が多いかも」とそちらへ行ってしまいました。なんとなく研究職などを意識していたと思います。

父は高校教師でしたが、私は先生になろうとは思いませんでした。優等生な自分があまり好きではなく、よくできるとか、先生みたいだとか、周りから言われるのが嫌でした。でも結局、そこからはみ出ることもできないのですが。

しかし大学で行き詰まってしまい、花屋でバイトしてみたり、庭師になろうかと思ってみたり、絵が好きで美術館の学芸員になるには…?と考えたこともあります。ずっと優等生タイプだったので、初めての大きな挫折だったかもしれません。

そんな迷走を経て、なれるわけがないと思っていた演奏する仕事に就いているのが、おもしろいですね。今では先生みたいな部分をやわらかく使って、仕事に生かせているなあと思います。

サンケイリビング新聞社のカルチャースクール「歌声サロン」で講師をされていますね。教える仕事が向いていらっしゃるのは、お話を伺っているだけでも分かります。

 


―ところで、アコーディオンはどのように習得されたのでしょうか。

これは独学です。コードは教則本などを見て学びました。アコーディオンはピアノとちがい、強弱は指でつけることはできないんです。蛇腹でつけるのですが、最初はそれが難しかったです。

―膨大なレパートリーがおありですが、その数は何曲くらいなのでしょう?

数えたことがないですし、覚えては忘れ覚えては忘れ、という感じです。

―レパートリーに入れる曲はどのようにお選びですか?

仕事の宣伝ターゲットに合わせたり、季節ものや会場の雰囲気に合うもの、流行りものなどをとりいれています。あまり聞いたことのない曲は、自分で楽譜に起こして覚えます。

 

―ちなみにプライベートではどのような音楽を聴かれるのでしょう?

特に「この曲」とか「この人」というのはないかもしれません。民俗音楽とかが好きですね。アコーディオンの入っているミュゼットは気になります。ジプシー音楽にもアコーディオンの入った曲があります。ピアノをやっていたのでクラシックもふつうに好きですね。
日本語詞のボーカル入りの曲はあまり聴きません。声や音色に惹かれて小唄や端唄などをいいなと思いますけれど、どこかで仕事に結びつけてしまいます。もともと詞よりメロディーが気になるタイプです。

 

―ちんどん通信社の皆さんは、演奏家としてのレベルが非常に高いとよく伺います。皆さん音楽の素養がしっかりおありなのが分かりますが、ピアノや吹奏楽とちんどん屋の演奏には大きなちがいもあると思います。

そうですね。ピアノも吹奏楽も、ちょっと語弊があるかもしれませんが、”一方的に聴かせる”スタイルと言えますよね。対してちんどん屋の演奏では、お客さんとのコミュニケーションがとても大切です。

 

 

「ちんどん通信社」の一員に

 

ちんどん通信社との出会い

―続きまして、サークル活動からプロになるまでのことを伺います。ちんどん通信社にはどのような経緯で入られたのでしょうか?

サークルをちゃんと立ち上げた2000年の7月頃から、自分達の活動を見直してもっと勉強しようということになり、ちんどん通信社のビデオを見たり、神戸近辺の現場を見に行ったりしました。
その後、2001年の富山のチンドンコンクール・アマチュア部門に出場することにし、林を訪ねて太鼓の叩き方を教わったりしています。コンクールが終わった後にまた訪ねて、私たちのステージについて感想評価をもらったり…

と見せてくださった当時のメモ。熱心さが窺えます。

 

そうして少しずつ距離が近くなり、林が実行委員長として指揮をとった全国ちんどん博覧会(大阪天満宮にて開催)にボランティアスタッフとして参加しました。でもこの頃は常に緊張していましたね!

12月にアルバイトでちんどん通信社の現場に出て、入るかどうかを本気で考え出しました。翌年4月のチンドンコンクールでアマチュア部門に再び出場し、その2日後くらいに事務所を訪ねて入りたいと伝えています。「もし自分が入るとしたら今しかない」というタイミングで、この時決断していなかったらちんどん通信社には入っていなかったと思います。迷い続けて年齢が上がるのを待ってもダメだと思って。

 

―ご両親の反対があったと伺いました。

そうですね。ちんどん屋というものに抵抗があったみたいです。特に母には何度も説得されましたし、数年間は疎遠になってしまいました。

―ちんどん通信社での仮屋崎さんのパフォーマンスをご覧になったら、誇りに思われること間違いなしだと思うのですが。

そうでしょうか…そうだといいのですが。両親はまだ仕事の現場を見に来たことはありませんが、妹が見に来てくれたことがあります。その時の第一声は「なんだ、可愛いじゃん!お姉ちゃんイキイキしてる!」でした。もっとボロボロの衣装を着ていると思われていたようです。

―昨年NHK-BSで放送された番組「ちんどん道を究める~林幸治郎60歳の青春~」には仮屋崎さんも出演されました。ご家族の皆さまもご覧になりましたか?

はい。その番組は両親も見てくれまして、社長のことを素晴らしい方だと言っていました。どんな人間の元でやっているかが分かって、少し安心してくれたようです。

 

尊敬する先輩と同期

―ちんどん通信社には素晴らしい先輩方がいらっしゃいますね。

はい。ここで林・小林・川口と一緒に仕事をできることはとても大きいです。

ちんどん通信社を立ち上げたのが林社長で、小林信之介さんとジャージ川口さんは社長の立命館大学の後輩に当たります。お三方とも林社長が「ちんどん研究会」を作られた時からの仲間であり、大ベテランです。

左が同期の内野真さんと仮屋崎郁子さん、その隣から順に小林信之介さん、林幸治郎さん、ジャージ川口さん

 

林の偉大さは一言では表せませんが、一緒の仕事が増えてきたのは最近で、それをとても嬉しく光栄に思っています。やっと少しは認められてきたのかな、と…。

―そうなんですか?とても信頼されているように見えます。社長が本番中にアドリブでいろいろと変更されても、一言二言のやり取りやアイコンタクトですぐに対応していらっしゃるので。

社長と一緒の現場は、ここ一年くらいで増えたんです。本当に勉強になります。
社長はより良いものを作るために、とにかく考え続ける人。すでに出来上がったように見えるものでも、ギリギリまで考えて、本番直前になって殴り書きのメモを渡されたりするんです。大変ですが、それに対応するのはやりがいもあります。

 

小林は自分から前に出るタイプではありませんが、努力家でとても尊敬しています。クラリネットの演奏も素晴らしいですが、楽器を持っていなくても動ける人なんです。二枚目も三枚目もできて、オールマイティー。あまり披露する機会がないのが残念ですが、踊りもできる。無口で何かをひけらかすことは決してないのですが、いざという時の存在感は本当にすごい。小林の存在はもっともっと評価されてほしいと思います。

 

川口はバンジョーとウォッシュボードが素晴らしいのは言うまでもありませんが、実は彼のゴロスが最高なんです!歌うような、踊るような、そんなゴロスです。見ても聞いても気持ちが良くて、とても格好いい。誰にも真似できない演奏だと思います。
人の補佐をしたり伴奏で雰囲気を作るのが上手ですし、三枚目のプロです。私が歌う時、川口の伴奏だととても心地よく歌えます。彼の人柄やコミュニケーションスキルも尊敬しています。

 

―内野真さんとは大学のサークルからご一緒ですね。学生時代からの仲間と同僚というのは、どのような感覚でしょう?

同期の内野とは大学でサークルを立ち上げた頃から中心メンバーとして一緒にやってきたので、本当に長い付き合いになります。本人には言いませんけど、彼の存在も大きいですね。同僚でありライバルです。
内野は楽器だけではなく身体が使えて、パントマイムもできるし、芝居も上手い。とても器用なんです。私は不器用なので、彼のほうが先を行っているような感覚はありました。内野のマイムなどを見て、自分の存在価値を考えたりしたものです。彼のマイムをアコーディオンでいかに演出できるか、試行錯誤をしてきました。

 

 

でもアコーディオンとマイムの二人のユニット(ウッチー&ぴんきー)もありますし、四天王寺わつか市など、一緒の仕事も多いです。意見ややり方が異なることも多いのですが、今は色々話し合ってより良いものにしようと模索することができます。それに、グチなんかも言い合えますしね(笑)

 

―プロになり15年も経つと、自分のレベルに満足したり、考えることをしなくなる人も少なくないと思います。偉大な先輩たちと切磋琢磨できる同期に恵まれていらっしゃるとはいえ、17年経っても謙虚に学ぶ姿勢があるからこその、細やかな気配りあるパフォーマンスなのだと実感しました。

 

仮屋崎さんのインタビューは次回に続きます。

後編では具体的な仕事のこと、いちパフォーマーとして意識していること、今後の展望などについてお話を伺います。

どうぞお楽しみに。

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