【インタビュー】峰ハチヨさん「自由に生きる」ということ

―前記事では峰ハチヨさんの経歴を年代ごとに駆け足でご紹介しました。今回はそれに沿ってさらに詳しいお話を伺いたいと思います。

峰さんに初めてお会いした時、連れている空気が独特で、発する言葉もユニークで、「すごく面白い方に出会ってしまった!」と感動しました。
「変わってる」と形容されることも多いかと思います。

ふつうに生きてるつもりなんだけど、昔某ラジオ局の『日本全国変わってる人選手権』に宮城県代表で出たからね。まあ変わってるんだろうな。

―えっ!!『全国変わってる人選手権』!?

うん、なぜか勝手にエントリーされちゃって。

―ここまだ冒頭なんですが、もう仰天しています。さすがです。

ずっと好きなことばっかりしていると、変わった人に見られるんだろうね。
興味のあることに飛びついて実際やっちゃうから、どんどん好きなことが増えていく。その結果やってみたいことは全部経験したから、もうぼーっとしていたい。今はそんな心境。

―では、その境地に至るまでの道を一緒に振り返らせてください。

 

 

波乱万丈の20~30代

―20~30代だけでもかなり起伏に富んでいますよね。

私たちの年代はね、一番幸せな社会人生活を送れた時代なの。いくらでも仕事があったから。

図面屋だった時はバブルの絶頂で、ものっすごく忙しかった。毎日残業しても帰れないくらい。

29歳で事務所借りて独立したけど、自分から営業なんてする必要ないの。もう仕事が天から降ってくるような感じよ。こんなに稼げるなら結婚しなくていいじゃんて思った。

 

―バブルが崩壊した時、生活は変わりましたか?

ゼネコンの下請けだったからね。それまで事務所用と住居用に部屋を二つ借りていたけど撤収して、貯金をはたいて事務所兼自宅のマンションを買った。

設計の仕事は減ったけど、専門学校でCADの講師とホステスのバイトを掛け持ちして、なんとか生活を維持。
その頃、結婚しようかなと思ったのよ、一瞬。けどやめた。相手の夢に乗っかれなかった。

―専門学校も生徒減少でつぶれたと聞きました。色々と手放さなければいけない時期だったのでしょうか。

メインの収入が無くなって、マンションのローンだけ残って、だんだん払えなくなっていく。
さらにうつ病になって何もできなくなって…この頃が一番ひどかった。

いろんなことが重なって、40過ぎて「人生終わった」と思った。

 

 

譲れない大切なこと

―最初に就職した会社を辞めた後、ハワイに長期ステイしていますよね。そこではどんな生活をしていましたか?

趣味のひとつがバイクでね。高校生の頃に『イージー・ライダー』という映画を観て「なんて自由なの!私も乗りたい!」と思ったの。

21歳の時に免許をとって、ハーレーに乗ってみたくて会社辞めてひとりでハワイに行った。ツーリングしたり、ビーチに出たり、写真を撮ったり。まあ食べ物に飽きてひと月くらいで帰って来ちゃったけど。

 

―その後も毎年のようにバイクでの旅をしていらっしゃる。それもかなりの長旅を。当時はバブルで仕事がひっきりなしの中、いったいどのようにその時間を捻出していたんでしょう?

夏から秋にかけてはバイクの季節だから、その間は仕事を休んだ。自営だからできること。
免許取ってからの30年間、夏は仙台にいたことないよ。夏はほとんど北海道を走ってた。秋は四国とか。

バイクは生活の足であり趣味であり相棒だった。

48歳の時バイクを降りて、初めて4輪に乗り換えた。今は軽自動車を車中泊仕様にして、愛猫と旅してます。これがまた、えもいわれぬ解放感。楽しすぎる♪

―本当にやりたくて好きで譲れないことがあったら、それができる仕事のスタイルを選ぶ。あるいは自ら作る、ということですね。

 

 

40歳を過ぎて人生大逆転

―ところで、うつ病からはどのように抜け出しましたか?

失恋と失業とローン抱えてどん底だった時ね、岩手の浄法寺町に住んでいるバイク仲間から電話がきて「ヒマしてるならビンテージバイクの記念館で館長やらない?」って誘われて。
バイクに荷物積んで行ったわ。

天台荘っていう民宿に居候して手伝いながら、毎日山の中の記念館に通って、ひと夏過ごしたの。

 

―なんだか小説みたい。何がきっかけで仙台に戻られたんでしょう?

浄法寺町滞在中に、仙台のラジオ局から「仙台幸子が面白いから取材したい」というメールが入って(前記事参照)。
幸子のことはその数年前からHPにエッセイを掲載していたから、それを見てくれたんだね。

ここからよ、人生逆転したのは。

ラジオに一本出たら宮城のテレビ局から取材がきて、テレビで紹介されたら幸子グッズが売れ始めてね。最初はグッズを手作りしていて、Tシャツのアイロンプリントで手が腱鞘炎になったほど。でも楽しかった~。

しかも「ご利益がありました♪」というメールが沢山届くからHPに載せたら、今度は関西のゴールデンタイムのバラエティ番組からオファーが来て。どんな番組か知らずに出ちゃったら、反響がすごくてHPのサーバーがダウンしたほど。

グッズの製作も追いつかなくなったから業者に発注して、一人では対応しきれず友達にアルバイト頼んでさ。ピーク時は全国ネットのマスコミから一日おきくらいに取材が来ていたよ。

 

―体調は大丈夫だったんですか?

もちろん、うつは一気に吹き飛んだよ。自分の発信するキャラクターが全国ネットでブレイクして売れる、という快感とやりがい。自分の思うまま好きなことをやってお金になるんだから「うつ」してる場合じゃないよ。嫉妬されることもあったけど。

―嫉妬というのは、好きなことをして財産を築いていることへの?

たぶんそう。人間関係もいろいろあったし。

でも、私もそれなりにお金と労力と時間をかなり使っているから。それを知らない人にとっては、ふざけてると思われたのかも。

好きなことをして収入を得られる人は、ごく少数だと思うけど、私は一瞬それを味わわせてもらいました。貴重な経験です。

―何の工夫も努力もなくある日突然稼げるようになる人は、まずいない。僻む人の多くはそこを分かっていないように思います。それまでやってきたことが”報われた”のが仙台幸子のブレイクだったんですね。

ところがねー、その後またすったもんだがあって、詳しく言えないけど頑張って生活立て直して貯金もできたんだけど、半分持っていかれちゃった。

それでまた生活苦になって、アラサーの時に購入したマンションを売って、実家近くのアパートに引っ越しをしたのが2011年の2月11日。

―その1カ月後に東日本大震災が起きた。

 

 

震災で何もかも失うも、転機再び

引っ越しを機に、仕事探して新しい生活を始めようと意気込んでいた矢先で、本当にどうしようかと思った。半年間は引きこもりでした。
被災者緊急雇用制度で写真の仕事にありついたけど、1年半で終わってしまった。

―40~50歳も激動でした。

この期間はジェットコースター。成功もしたけど、頑張れば頑張るほど誰かにとられちゃう。何だかやる気なくなっちゃって。自分一人食えればいい、身軽になりたい、物を持つのはやめようと。今は断捨離をしながら暮らしているよ。

 

―ところで、「星の街仙台」の研究にはいつからどのように関わっていらっしゃいますか?ここまで歴史に関係することは一切登場していませんが。

歴史には全く興味も知識もなかったから、この状況は自分でも考えられないことなんだけど、なぜか稲辺勲さんに突然白羽の矢を立てられてね。

稲辺さんが仙台幸子での発信力を見ていて、「星の街仙台」をネットで広めてほしいと言われた。最初に六芒星のことを教えられたのが震災の前年。震災後しばらくは幸子どころでも歴史どころでもなかったけど…

仙台藩の歴史を調べていくうちにあまりに面白くて、すごく詳しくなってしまった。職業歴史家も知らないことを発見する快感もある。アクセスが増えるとやりがいあるし。

何かに取りつかれたようにのめり込んで、やめられなくなった。スイッチが入っちゃったんだね。

今は歴史講座の講師や「星の街仙台」をめぐるバスツアーのガイドもしています。こんな風になるなんて、自分でも嘘みたいよ。

 

 

常に自由であることを選択する人生

―峰さんは手に職をお持ちだから、手堅く生活するという選択肢もある。でも自由に好きなことをするほうを選んでこられた。

若いころ会社勤めをしていた時に、低血圧で朝が超苦手で、毎朝「目覚まし時計のない生活がしたい!」と念じ続けて、自営業になった。
苦痛から解放される理想の生活を夢見ていると、案外叶うもんだと思った。

でもそれは、バブルという社会の波にうまく乗っかって、運が良かった世代だからかもしれない。それと自由にさせてくれた両親のおかげもある。

 

―日本に生まれた以上、かなりの自由がある。今の仕事、今の住居、今の暮らしを選択しているのは自分自身なのに、それを「自由でいいね~」と他人を羨む人は一定数いる。自由は自己責任のもとに成り立つという側面を見ずに憧れてしまう人もいますね。

自由には「不安定」が付き物だし、安定していたいなら多少の不自由に我慢ができるかどうか。

―安定を選ぶのもまた「自由」ですね。

私は我慢できないタイプなんで、自由を選んでこのザマですわ。
でも全然後悔してないから、これが自分に合ってるのだと思う。

実は「自由」って向き不向きがあるよね。

―本当ですね。

ジェットコースターみたいに浮き沈みの激しい生活を送っているけど、慣れてしまうと「次は何が起こるかな」と面白がる客観的な自分がいる。で、面白そうなことにいつもアンテナ立てて、未知の分野にどっぷりハマることはよくある。

飽きずに続いているのは面白いからで、「究めたい」わけではない。でもそれが単なる趣味の域を超えて、生活の糧に繋がるなら最高です!

 

―最後に、峰さんにとって”究極の自由”とは何かを教えてください。

自由の定義は人それぞれあると思うけど、私にとってはくどいようだが「目覚まし時計の無い生活」に尽きます(笑)

 

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