【インタビュー】小川徹さん前編「夜の世界から農業へ~覚悟と挑戦」

桜桃庵で今回お話を伺ったのは、人気バーテンダーから葡萄栽培家になられた小川徹さん。

 

 

彼と彼の営む農園を紹介させていただいた前記事では、バーテンor農家時代、どちらかの顔しかご存知ない方々から多くの反響がありました。

そこで葡萄栽培家としてのインタビューのみ掲載予定だったのを、もっと広く深いお話を聴かせていただきましたので、前編と後編に分けてお送りいたします。

前編では過去を振り返り、赤裸々に語っていただいた胸の内を。

後編では「やりたいことがあり過ぎて寿命が足りないよ!」と笑う未来のことを。

存分にお届けできればと思います。

 

 

小川徹さんという人

 

―私もこれから伺うのですが、「バーテンからなぜ農家?」という質問を耳にタコができるほどされてきましたよね、きっと。

そうだね、まあみんな驚くよね。でも今ではその経歴を知らない人も多い。
水商売をやめてから農業に辿り着くまで2年くらいあったけど、それが長かったのか短かったのか。良かったことは間違いないんだけど。

―”間違いない”、ですか。気持ちのいい断定です。

だって葡萄農家は天職。天職だよ。認められるとハマるよね。

 

―そういう意味でしたら、バーテンも天職に見えましたが。

そう見えたならそれは良いことなんだけど。当時はキャパが狭くて対応しきれなかった、色々な人に。
それと”水商売”、こいつを納得できてないまま仕事にしてたからな。だから水商売全体をイメージアップしたくて、公的な機関や世の中に認められているお店には勉強しに行ってたよ。

―小川さんは器用で賢くてセンスがあって、何でもソツなくこなせるタイプですが、本当に尊敬しているのはやはり努力家な面です。

センスなあ。やりたいことが出てきた時にしか発揮されないというか…熱心なことに対しては誰でもセンスある風になってしまうと思うのです。

なお俺はクレバーではないよ。たまに言われるけど、何回目かのやり取りで「熱いですね…」に評価が変わる今日この頃です。

何かするなら全力。今までずっとそうしてきたなあ。

―なんて清々しい。ただ、器用なうえに責任感がある人間は、とかく人から頼られやすい。その人ならできる、できて当たり前だと思われやすい。でもそんな訳などなく、ちゃんと努力し続けているからこそ、常に一定以上の成果が出せるのだと思うんです。

確かにそうだね、自分がそんな人間かはともかくとして。
「誰かに評価されたい」というのもアリだが、認められる人って常に抜かりないっていうか。「同じことを続けられる」とか「探究を諦めない」とか色々あるけど、持続力があるのが共通しているんじゃないかなあ。

俺は優しい人間ではないけれど、頼まれると断れない。で、やるとなったらとことんやってしまう。冷静を装いつつ実は情熱で生きているね。

―私は今でも小川さんのマンハッタンが世界で一番美味しいと思っています。

そうか、マンハッタンとか…カクテル。オレ作ってたんだね。ほんのりレシピが甦るのが、甘く切ない感じだなあ。

 

 

夜の世界からなぜ、農業へ?

水商売へのピリオド

―店長をされていた「カシーフ」もですが、独立されてからの「Bar STRANGE」も人気がありましたよね。水商売をやめようと思った訳を聞いてもかまいませんか?

うん、何でも話すよ。実はあまり振り返らないようにしてたんだ、当時のこと。でも今、初めて自分の過去と向き合って、直視してみようと思えるから。

状況的にはまず、実家の両親の老々介護状態の解消がある。それには七日町を離れて、米沢に帰らないといけなかった。

それと自分が起こしたかった流れが完全に潰されたこと。夜の世界には色々とね、大きな声で言えないことが沢山ありました。後になって謝られたけどね。

―露骨なことがある世界ですよね、嫉妬とかいやがらせとか、信じられないようなことが。

まあね。
あとこれは直接のきっかけではないけれど、親しかった同業者たちが立て続けに悲しい死に方でこの世を去ったのも、堪えたな。みんな、最後に俺に会いに来るんだもん。その翌日とかなんだ。

―それは苦しいですね…。でも、小川さんには味方もたくさんいらっしゃった。

そう、応援してくれる人たちは沢山いたんだ。ほんと、俺の周りいい人が多くてさ。
でも恥ずかしいんだけど当時は俺のアンテナが狭くて。その時もっと周りが見えていたら結果は違ったはず、味方はいてくれたんだから。

なのにうんと困った時でもずっと一人で何とかしてきた。助け舟を出してくれる人はいたのに、素直になれなかったんだね。”孤高の人”なんて言われてたくらい。

―「決めたことは自分の力でやり抜く、絶対に。だってこれをやるって決めたの俺だから。」という姿勢が小川さんのイメージとしてある。そういう姿に奮い立った人も少なくないと思います。

 

―引退する時、悔いはありましたか?夜の世界を離れた時の心境を教えてください。

後悔はない。ただ、不完全燃焼。その不完全さは今の仕事での追求に活きているから前向きなものだけど。

あの時は、大学時代のバイトに始まり18から37まで過ごした七日町を去るのだなという寂しさと、ひと時でも盛り上げられて良かったなという気持ち。けどそれはとても微弱な満足感だったかなあ。

もう少し居たかったけど、これが俺の目いっぱいなんだろうなと思った。
20年近くいて、嫌われたり慕われたりして最後は敵味方関係なく労われたことが、当時はとても悔しくてそのあとずっと満足に寝れなかったなあ。

実はつい最近、七日町時代の先輩や後輩がたくさん集まる場に行ってきたんだ。今も現役でお店をやっている人たちに久しぶりに会った。
正直ちょっと羨ましかったよね。あの時もう少し踏んばれていたら、俺も…って思うとね。ああ俺、本当にはやり切ってないんだなと。

でもね。あの当時の誰もが今もつながっていて、あの時の俺らは全然終わってないと。してることが変わったって一緒に出来るじゃん、という話になり…泣きそうになっちゃった。
おかげで9年間のわだかまりがなくなった。それは良かったよ。

 

 

葡萄栽培の道を見出すまで

 

―ここからは葡萄農家へ至る道について伺います。まず、どのように農業に辿り着きましたか?

うん。山形で俺が独立できたのは、応援してくれる人たちの後押しがあったからなんだよね。でも米沢に帰ったことで人脈はまたゼロから作らないといけないから、すぐに商売はできない。

それなら、やったことのないことをやってみようと思った。

ただ俺は頑固だから、自分で納得いかないことはできないの。正しくないことはダメ。どんなに偉い人に言われても、正しくないことはできないんだよ。

で、それがまかり通ってきたのは俺が自営だったから。だからやっぱり自己責任でやりたいなと。

 

―そうすると道は絞られてきますね。

でしょ。あとは一人の人物としてじゃなく、物で評価されたい気持ちになっていた。”現物の結果”で。

そんな風に考えていったら、自然に農業という答えに辿り着いた。

ただ農家というものにどうやってなったらいいか分からなかったんだ。

そんな時にハローワークで見つけたNPO法人があり、そこで講師をしている葡萄農家さんが声を掛けてくれて、1年間バイトのような形で色んな農家の繁忙期を手伝った。田んぼ・葡萄・サクランボ・りんごなど。
まあこの間に適性検査されてたってハナシだよね、仕事ぶりを評価しつつ覚悟を確認されてたというか。幸い評価は高かった。すごく頑張ってる、いい奴だと。

それから国の青年就農支援制度で2年間、葡萄農家さんの元で農業を勉強した。

そうして2016年4月に新規就農者として独立、今に至ります。

 

―農業の道でやっていこう、と決断するにあたり最大の魅力は何でしたか?

やっていてこんなに楽しいことがあるのか!と思ったこと。失敗もするけどね。勉強することが多すぎて、楽しくて仕方ないんだ。

あとは世の中に求められることがあったとして、それに対する挑戦かな。

 

 

小川さんの好奇心と行動力、心のタフさ

 

「葡萄専業農家(初級)」の頃

―すごく一生懸命に学ばれたし、今もそうだろうなというのは分かります。

最初はね、高畠の畑を何回も何回も回った。葡萄作りの上手な農家さんのところを訪ねて行って、色々質問したりしたね。

―”行動の人”ですよね。

昔は引っ込み思案なところが大きかったんだけど、知りたいことができると、そうかもね。
それに行動していると、「あいつ頑張ってんな」と応援してくれる人が現れる。助けてくれるのはそういう人たち。

―実際にアクションを起こすのに勝ることはない。それには心のタフさも必要かと。

うん。技術とか知識は増やせるけど、経験だけは実際に体験しないと身に付かないし、そのためには本人の気持ちの強さは必要だよね。イヤなことでも必要ならちゃんと学ぶ、みたいな。

したいことが決まった時に、その道で経験だけが足らねえ!ってなったら、体験するしかないからね。単に先人のお話を聞けば経験したってわけでもないしさ。

ちなみに経験が足りないせいで一部の葡萄の木がネズミに齧られたり、凍害にあって目も当てられないことになったりしていますが、むしろこれを経験できたことが初心者の自分には幸運でした。体験と「その後の感想」があると、その後に活きるというのは理解したから。

自営業が、突破力を得られる素地になっているかな。農業始めてからさらに強化されたところ。

 

―独立して最初の年の収穫には、特別な思いがあったのではないですか。

そう。収穫まで待ちきれず食べる。おそるおそる食べる。で、まずはほっとした。

感動したのは初めて売れた時。「皮のパリパリ感が全然ちがいます」という感想をいただいて、嬉しかった。ただ配送中の脱粒に関しては苦言もあったから、対策して気を付けている。

正直、1年目はワケ分からなかったよ。チャレンジャーだから色んなこと考えて試してみたり、がむしゃらだった。
2年目で農彩土(詳しくは前記事をご参照ください)との繋がりが強まって、今後の展望なども広がった感じだね。

 

 

農業を通して~変化と変わらないもの

 

―農業を始められて自分の中に変化はありましたか?

しょせん人のやることは自然には敵わない、ということ一つだけで覚悟は変わる。

今日を後悔しないように働いて、今日が無理でもスパンを決めて。それができなかったらヤメロと。そういう覚悟でやってます。

毎年不安の中スタートして、「去年ああしてダメだったから今年はこうしてみよう」ってのが葡萄の種類と生育段階ごとにあって、その組み合わせが無数。
それなのに一年は一回しかないという当たり前のことに知恵を絞ってやってみて、大なり小なり失敗するという切ない思いをする。

そんな思いをくり返して今日まで来ているので、「次こそは!」という鋼のメンタルになってきている気はするな。
気持ちだけは強く持ち続けないと、これまでが意味をなさなくなるしね。

―「失敗をくり返しても、その向こうを見据えてやり続けることより価値のあるものって何よ?」とは常々思っているので、その姿勢はまさにありたい姿です。

俺もその意見には同意だな。だから基本、くじけないね。

昔頑張って結果を出したことって、今でも励みになる。全然ちがうことをしているんだけど、不意に出てくるんだ。あれなんでできたんだろう?って思うと、昔の経験がそこにあったりする。

―技術とか知識ではなく、「自分はやれる、大丈夫」と信じられることが財産なのかもしれませんね。

そうだね。あとは変わらず信頼してくれる20年来の先輩や仲間に感謝しかありません。

 

 

次回、小川徹さんのインタビュー後編では、葡萄農家としての日々の営みや今後の展望について伺っています。

リアルな姿と将来への力強い言葉をお届けできると思います。どうぞお楽しみに!

 

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